吉川商事のあゆみ 吉川商事写真館 マルゼンブランド 海外活動 国内活動 海外オフィス開設 業界からの感謝状
弊社は文久元年(1861年)、吉川喜右衛門が大阪天満・八軒屋で「あさき屋」の屋号で全国に塩・苦汁(塩化マグネシウム)の卸売りを始めて150周年となりました。
明治年間、岡山倉敷市児島に苦汁(塩化マグネシウム)の専門工場を建設しました。豊富な製造経験があり、戦前の販路は豆腐資材を中心に内地はもちろん、韓国、中国に及び、生産販売高は業界第一位を維持しましたが戦時中、苦汁(塩化マグネシウム)が航空機用軽合金原料に、臭素がエンジンのアンチ・ノック剤に使用されたため軍需工場の指定を受け、昭和十四年法人組織に改組、生産部門を有限会社吉川化学工業所、販売部門を吉川商事としました。
戦後、全国に及ぶ販売網の復活、官公庁・工業・建築材料など新販路の開拓、生産体制の充実により生産販売高業界第一位を保持しました。長年に渡って築き上げられた販売先の数は千数百軒に達し1/3が豆腐など食品用、1/3が官公庁、 1/3が工業用で特に弊社品の品質の優秀性は定評がありました。豆腐製造の技術指導にも取組んでおり現在も各地で行っております。
歴史のひとコマには…
戦災で電話が不通になり、大阪本社の安否を心配した工場長が岡山から2、3日かけて自転車で大阪に駆けつけたこともありました。すぐにパンクする当時の自転車で、国道も砂利道が多く爆撃で落ちた橋もあり食料は欠乏。常人にできることではありませんでした。工場現場では模範的な職長がいて品質などに細心の気を使い、ヨシカワのニガリの評判が高まっていきました。
児島の塩田風景
昭和後期の工場風景
軍需優先で代替品のスマシコ使用を強制されていたが、戦後、生活が安定してきた昭和50年頃、近頃の豆腐はなぜおいしくないのだろうと埼玉と京都で消費者のニガリ豆腐復活運動が起こり、吉川商事も協力し、研究発表や試食会、技術実習会を開催した。
消費者主催のニガリ豆腐試食会
消費者が作成した小冊子
マルゼンブランドは元来、瀬戸内から大阪港に、にがりを積んだ船が安全に入港するよう、祈りを込めて作られました。
ミクロネオエキス
最高級ニガリ ミクロネオエキス
マルゼンブランドのミクロネオエキスは、昭和31年吉川化学岡山工場で開発し、生産を開始しました。昔からの青缶を美しい微粒子にし、溶け易く成分が安定し、量産豆腐工場にも手寄せにも適していると今もなお、国内外で広く使われています。
マルゼンネオエキス
にがり豆腐の関心の高まりに伴い、豊富な経験を生かし海外に豆腐製造の技術指導を行う。
韓国・仁川工場スタッフによる新技術・販路・開発も進んでいます。
吉川商事では、各地でにがり豆腐の製法実習会を開催しています。
韓国ソウル市に開設された吉川商社は、のち仁川広域市に移り、吉川商事 仁川工場として優秀な現地スタッフの手で発展しました。
金浦空港近くで発足した吉川商社
ISO14001を取得した仁川工場
150年に及ぶ豆腐業界への貢献に対し、日本の全豆連から吉川化学に贈られた感謝状
海外でも、アメリカの他、韓国各地で講習会を行い、韓国の全豆連からも感謝状を贈られている