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・香川など備讃瀬戸沿岸は雨が少なく大きな川も少なく日本の塩の大半を生産してきました。ニガリも波静かで機帆船輸送の発達した瀬戸内海の製塩地帯を背後にした大阪を中心に全国流通機構が形成されました。第一・第二吉川丸、第一・第二住吉丸、昭栄丸、日の出丸、など多数の専属機帆船がマストを倒して市電の通る橋をくぐり大阪・靱の吉川喜一商店にニガリを運んできました。
ニガリのヨシカワは江戸時代、塩問屋として創業、明治年間岡山工場建設を機会にニガリ専業となり優れた品質と豊富な製造経験をもち、戦前は外航船を借り切って宇野港から中国大陸に大量のニガリを輸出するなど「日本のニガリの相場を動かす」といわれ、随一の老舗として日本全国はもちろん世界各国に輸出もしています。
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